【大阪の歴史】第2回「古墳時代と古代の王宮」

皆さん、こんにちは。大阪の歴史を巡る旅、第2回は巨大な古墳が次々と築かれ、日本の政治や外交の中心地として輝いた「古墳時代から古代」へと足を進めましょう。今の大阪の街並みの地下には、かつての国際都市としての記憶が眠っています。

1. 世界最大級の墳墓が並ぶ「百舌鳥・古市古墳群」(4世紀後半〜5世紀後半)

4世紀後半から5世紀にかけて、現在の堺市や羽曳野市・藤井寺市にかけて、巨大な古墳群が形成されました。中でも堺市の百舌鳥(もず)古墳群は、わずか4km四方の範囲に100基を超える古墳が密集する、世界でも類を見ないエリアです。

その象徴が、全長486mを誇る日本最大の仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)です。エジプトのクフ王のピラミッドなどと並び「世界三大墳墓」の一つに数えられています。また、付近には日本で3番目の規模を持つ履中天皇陵古墳も存在し、当時の王権の強大さを今に伝えています。これらの古墳からは、東アジアとの活発な交流を示す鏡や武具などの副葬品も多数見つかっています。

2. 国際港「難波津」と聖徳太子の「四天王寺」(5世紀〜6世紀)

5世紀から8世紀にかけて、上町台地の北端付近には難波津(なにわづ)と呼ばれる港が整備されました。ここは遣隋使や遣唐使の発着拠点となり、大陸の最新文化や物資が流入する「日本の玄関口」として発展しました。

また、6世紀末には仏教を巡る争いを経て、聖徳太子によって四天王寺が建立されました(593年)。これは日本最古の官寺(国が建てた寺)の一つであり、大阪が古くから仏教文化の中心地であったことを物語っています。

3. 唐の都をモデルにした「難波宮(なにわのみや)」(7世紀〜8世紀)

7世紀、大化の改新(645年)を機に、大阪には本格的な都である難波宮が造営されました。

前期難波宮:唐の都・長安をモデルにした壮麗な宮殿でしたが、686年に火災で全焼しました。

後期難波宮:726年に聖武天皇によって再建されました。

難波宮は約60年間にわたって、日本の**副都(あるいは首都)**としての役割を果たしました。発掘調査では、中国式の宮殿配置や精巧な石組みの跡が見つかっており、当時の建築技術の高さがうかがえます。

古代の息吹を感じるスポット

当時のダイナミックな歴史を肌で感じるなら、以下のスポットがおすすめです。

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