【大阪の歴史】第1回「先史時代の大阪」

皆さん、こんにちは。今日から始まる「大阪歴史トラベル」シリーズ。第1回目は、私たちの住むこの街がまだ海の下だったり、巨大なゾウが歩き回っていたりした「先史時代」にスポットを当てます。

今の賑やかな大阪からは想像もつかない、ダイナミックな変化の物語を紐解いていきましょう。

1. ナウマンゾウが闊歩した太古の大阪(旧石器時代以前)

大阪の地層が形成され始めたのは、今から約11万年前のことです。当時は日本列島が大陸と陸続きで、ナウマンゾウやヤベオオツノジカといった大型の動物たちがこの地を歩き回っていました。豊中市や住吉区からは、当時のナウマンゾウの化石が見つかっています。

大阪で最古のヒトの痕跡が見つかったのは、今から約3万5000年前のことです。約2万3000年前の地球最後の氷期には、海面が低下し、人々は二上山(奈良・大阪の県境)で採れるサヌカイトという石を加工してナイフ形石器を作り、本格的な狩猟生活を送っていました。

2. 「河内湾」の出現と縄文人の暮らし(縄文時代)

約1万2000年前から地球が温暖化すると、海面が上昇し、約6000年前には現在の大阪平野のほとんどが海に沈む「河内湾」となりました。

この時代の人々は、海に突き出した上町台地や生駒山の麓に住み、漁労や採集生活を営んでいました。中央区にある森の宮遺跡(貝塚)からは、イルカの頭蓋骨や魚の骨、そして当時の人々が食べた貝殻などが大量に見つかっており、豊かな海の恵みを享受していた様子がうかがえます。

3. 海から湖へ、そして農耕社会の幕開け(弥生時代)

約2100年前(弥生時代中期)になると、淀川や大和川が運んできた土砂によって湾の出口が塞がれ、河内湾は淡水の**「河内湖」**へと変化していきます。

時を同じくして、大陸から稲作や金属器の技術が伝来しました。平野部では水田が作られ、各地に集落が形成されます。長原遺跡(平野区)では弥生時代中期の水田跡や水路が見つかっています。

また、この時期には社会の組織化が進み、美園遺跡(八尾市)では全長約80m、高さ約3mという、当時としては最大級の墳丘墓が築かれました。これは、強力な指導者が現れ始めたことを象徴しています。

先史時代の大阪を体感できるスポット

当時の様子をより詳しく知りたい方は、ぜひ以下の施設を訪ねてみてください。

大阪の歴史の第一歩は、この壮大な自然環境の変化とともにありました。次回は、巨大な古墳が次々と築かれた「古墳時代」へと旅を進めましょう!

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