英語で百人一首 第七首「天の原…」阿倍仲麻呂

藤原定家卿が編纂した「小倉百人一首」。

その中から毎回一首、ピーター・マクミラン先生の「英訳」も交えて紹介・解説します。

今回は和歌番号第7番「阿倍仲麻呂」の一句。

第七首「阿倍仲麻呂」

天の原 

ふりさけ見れば 

春日なる 

三笠の山に 

出でし月かも

小倉百人一首 第七歌より

ピーター・マクミラン先生の英訳

I gaze up at the sky and wonder

is that the same moon

that shone over Mount Mikasa

at Kasuga

all those years ago

「WHACK A WAKA 百人イングリッシュ」(ピーター・マクミランより)

第7歌:現代語訳

大空を仰いで、遥か遠くの空を眺めると、東の空に美しい月が上ってくる。

あの月はきっと、私が少年の頃見た、故郷「奈良の三笠山」の月と同じだろう…

ああ、日本に帰りたいなあ…

歌人「阿倍仲麻呂」(698~770)

717年、遣唐使として唐に渡る。

唐の太学で学び科挙に登用され、唐の玄宗に仕え、725年洛陽の司経局校書に任官、728年左拾遺731年左補闕と官職を重ねました。

唐の朝廷で主に文学畑の役職を務めたことから李白・王維・儲光羲ら数多くの唐詩人と親交していました。

写真引用:ウィキペディア「遣唐使」より

遣唐使(けんとうし)

日本古代の朝廷が唐に派遣した使節。目的は国際情勢を知り,大陸文化を輸入することが主。使節団の構成は大使およびその使人,留学生・学問僧らの随員,知乗船事(ちじょうせんじ)以下の船員の3者。一行は240〜250人から500人以上に及び,ふつう4隻に分乗した。多く2〜3年で帰国。7世紀には朝鮮沿岸経由の北路,8世紀には東シナ海横断の南路が通例。後者は危険だったが速かった。遣隋(けんずい)使のあとを受けて630年の大使犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)が最初。894年の大使菅原道真(みちざね)が唐の衰退,航路の危険などを理由に中止。その間の派遣は合計13回,中止は3回,他に使人を迎える迎入唐使(げいにっとうし)が1回

株式会社平凡社・百科事典マイペディアより

「遣唐使の航路」ウィキペディアより

雑記・感想

仲麻呂は51歳の時、玄宗皇帝に帰国を願い出ました。

本歌は帰国が許された仲麻呂が、送別の宴の席で詠んだ歌とも言われています。

その後、藤原清河らと共に帰国の途につきましたが、途中で暴風に遭い南方に漂着。以降、仲麻呂は帰国を諦め、生涯を唐で過ごしました。

望郷の想い

私も独身時代の12年間、故郷を離れ東京で暮らしました。

ひとりで過ごす夜は、淋しい時もありました。

そんな時は、故郷の思いがこみ上げてきます。

子供の頃、友達とビー玉やメンコ、草野球等をした時の風景…

高校時代、帰宅途中に友人と寄り道した時のこと…

様々な想い出が浮かんできます…

今回も最後まで御覧頂き、ありがとうございました💖

<あわせて読みたい>
英語で百人一首・他歌の紹介記事はこちらからご覧ください。

Follow me!